いわゆるひとつの猫
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「我が輩は猫である」を読むより先に、
「ボクは猫よ」を読んだ。
中学生か、高校生の頃だった。
名作というのは、名作というだけで、なんともおっくうなものであった。
おかげで、名作と呼ばれる本を僕が読む気になったのは、大学生になってからである。
実家の、がっしりした木の本棚に並んだ文学全集ではなく、
古本屋に並んだ文庫を、自分で気楽に買って読めるようになってからのことである。
- 作者: 曽野綾子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1985/04/25
- メディア: 文庫
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そういうわけで、
「猫」は、僕の場合、オリジナルより先にパロディだったのである。
端的に言って、
少年期の僕には、大きな衝撃であった。
心理学とか、宗教だとか、思想とかいうものの存在があることを、
僕はおそらく初めて明確に意識したのである。
(遅いですか?)
学問は、そして知識は、おいしい。
自分が知りたくて、それに気づかなかった知識や感覚や世界観に出会ったとき、
うまいものを食った感じを感じることがある。
その感覚を最初に僕に植え付けたのが、この本である。
作者の曾野綾子女史の著作は、他にも数冊家に転がっていた。
おかげで彼女の本は、自分の少年期の一時期を占める存在であった。
最近、ネットで彼女のことを相当悪く書いてあるものを多数目にした。
本当かどうかは知らないし、調べる気もないが、
一緒に遊んでくれたおじさんおばさんを、
親が悪く言っているのを目撃してしまったような感じがする。
世間とは、インターネットとはそういうもの、と
性格の一部に彼女の薫陶を宿す僕は、そう思う。