バックステージ オブ サイクリング・ブック

サイト「サイクリング・ブック」を作っていく上での諸事雑感などを書いていきます

バリバリに憂鬱

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サイクリング・ブック ー discover Japan by bicycling ー

本を読むのは好きだったが、大学生になるまでは、
名作はほとんど読んだことがなかった。
家や図書館で見かける古くて重い全集からの圧迫感が苦手だった。
明治や大正の文豪の暗さも嫌いだった。


それが一変したのは、上京して、
安い文庫本で名作を好きな風に読むことが可能になったせいである。
しかしそもそも、それを読む気になったのさえ、
高校時代の国語の教師の授業が契機になっていることに、後で気がついた。
淡々と文章の解説をするだけの、馬場という教師の授業では、
劣等生ぞろいの教室も、不思議に静かであった。
声も荒げず、何かを主張するでもない彼の講義に、
本当の説得力があったのであろう。
言葉を交わしたこともないその教師の、
一見何でもない講義やおそるべし。


ともあれ、大学生になった僕は、参考書しか読んでいなかった反動で、
手に合いそうな本から読んでみる試みを始めた。
「手に合う」とは、当時の僕は「センス」であると考えていたのだが、
今にして思えば、
・作家の名前を知っている
・話が短い
・難しくない
・簡単すぎない
に尽きたようだ。


とりあえずそうやって読み出した中に、
ボードレールパリの憂鬱」があった。
(余談だが、当時の僕は、ボードレールとボーボワールの違いがわからなかった)


ボードレール パリの憂鬱 (大人の本棚)

ボードレール パリの憂鬱 (大人の本棚)


「芸術とは何か」みたいな評論は、受験問題で幾つも見たが、
この散文詩を読んだ方が、百倍早い。
武闘派の僕にして、「美しい」という表現を使いいたくなる散文詩
本文中のどこかに、「想像力のある人間にとっては、実際に旅をする必要など無用」
のような記述があって、当時からニートトップランナーだった僕は金科玉条にしていたのだが、
今、見つからない。
ボードレールの魔力ということにしておこう。

(これを書く途中の検索で、三好達治訳、というのも見かけた。これは読みたい。
 僕が読んだのは、福永武彦訳)


同じく、「芸術とは」を感得しえる散文詩では、萩原朔太郎のものが素晴らしかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/萩原朔太郎
いまいましいことに、大学入学と同時に名作アレルギーを克服してしまった僕は、
うっかり自宅の全集で萩原朔太郎を読んでしまった。
おかげであれだけ面白かった彼の芸術論が、なんという本に属していたのか、
今は不明である。


喘息でヘタった体にムチ打ち、本腰を入れて探さなければ。
全集なんか読むものではない。
ああ憂鬱だ、でオチ。